とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

現代社会の「教えてあげる」病

今朝から家事をこなし、昼はジムで汗を流し…数年前の私から「誰だお前」と言われそうな、ある種健康的な生活をしています。

 

以前、看護関係の偉い方の秘書さんと話したネタが、「1日1回、少しの時間でも全力で身体を動かすことが元気の秘訣」という話。

あとは今話題の血糖値コントロール。とはいえ「食べてすぐに動いてはいけない」はもう古いネタとは分かりつつも、中々動けないものです。

 

身体が資本の業界です。病気にかかっている暇はありません。休みを有効に使って、肉体的にも精神的にもリフレッシュを。

 

病気といえば…

 

最近ネットを見て思うことは、自覚をしていてわざとなのか、はたまた無自覚なのか、「私が教えてあげる」といった態度、上から目線な物言いの方が多いなあと。たとえば…

 

・知識を誇る

・学歴を誇る

・肩書を誇る

 

などなど。「そこでマウンティングを取るのはそんな重要か?」と思いながらも流してあげるのが優しさなのかもしれませんが…

 

されども、「東大卒の僕に言わせれば…」「資格マスターの私が…」といった枕詞が付いた発言を、「わぁ、凄い!」と素直に受け取る方は一体どれだけいるのかな、と思うのです。

この表現だとあまり宜しくないかもしれませんが、「ケッ、いけすかねえ!」の方が明らかに多いと思います。

 

結局は個々人の自由であり、評判もしっぺ返しも個々人に返ってくるものなので、止めろとは言いません。

ただ、そういう受け取られることを計算せず、異論や批判に対し「は?私◯大卒だけど何?」とか言ってしまうのは宜しくない。

 

どこの誰とまでは言いませんが…昨年に「私が教えてあげる」的な態度をとって批判された某後輩が、随分と不遜な発言をしたようで。

色々と観察しましたが、どうも特権階級意識があるのかな?と。個人の意見としては、あまり公共の場には向かないような気がします。

※といっても、私は院には行っていませんし、大学の入り方も違うので、その方と面識はありません。

 

先日、政界の大御所、細田博之先生が、とある会議で「言語である限り解釈は生まれますよ」と発言されていました。

人も同じように…人である限りバイアスがかかります。天才かつ聖人であっても、何かひとつ好き嫌いや得手不得手、視野や価値観の違いはあるものです。

 

だからこそ意見を表明するときは、色々と配慮がいるものです。断定系の不使用は、優柔不断だからではありません。

そして、意見の表明時に謎の「教えてあげる」は要りません。ドヤ!がなくても、他者を納得させられる方が、私は素敵だと思います。

 

 

断じて、ステマではありませんが

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最近あまり使えていないのですが「いません!偉人スタンプ」のドヤ顔が小憎たらしくて気に入っています。

いやいや、スペインの有名画家でゴヤとか居ますから、ドヤも探せばいるのかもしれません。

 

ともあれ、病気にかかる方が少ないことが一番です。肉体的にも、精神的にも。