今日はカフェで、とある書き物を。
漢字のど忘れというものはなかなか悔しいものです。「寧ろ」が出てこなかった時は首を傾げました(泣)
パソコンのご時世なら、漢字は書けなくても…(ツールでカバーできる技術をヒトが学ぶ必要はないだろう)という風潮は、以前から私が敬遠する、
「いずれ自動翻訳機が開発されるから、そんな真剣に英語を学ばなくてもよいだろう」という考え方に似通っていると思います。
私はどれだけお仕事が出来ても、自国語を自分の手で書けないのは恥だと思います。
…もちろん異論を排除するものではありません、あくまで私の考えですが。
そういえば、昼に家事をしていたところ、呼び鈴が鳴ったので出てみると宗教の勧誘でした。聖書と言っていたので基督教関係かと。
勧誘お断りの旨は述べたらご理解をいただけたので、最後に「ごめんなさいね、布教お疲れ様です」とだけ。
私良い人ですアピールではなく、これも異論を認めるひとつの事例だと思うのです。
その御仁にとって基督の信仰は尊いもの、ただ拒むのではなく、私は信じませんが貴方の信仰は否定しませんよ、と返すことが正解だと思います。
まあ、時間が早朝や夕食時などのタイミングでなかったから、優しかったのもあります(笑)
話は変わりまして…
この三連休はジム通いや家事の他、友人からのお薦めアニメや、自分が好きなアニメを再視聴していました。
そろそろ10年が経ちますが、2008年の「イヴの時間」という作品は、AIが人口減、少子高齢化の解決策と叫ばれる今こそ、改めて楽しめるのではないかと。
託児アンドロイドというのも、待機児童問題が取り上げられる現代だと、強ち絵空事でもありませんね。
コーヒーが飲みたくなって、冒頭の通り喫茶店(ニッキカフェ、本郷)に行ったのは内緒。
私が好きな作品は2011年の「C」。ノイタミナ枠で放送された「ミダスマネー」という貨幣を使った異能力バトルです。
「現在を守るために未来を費やして良いのか」というのは答えるのが難しい命題です。未来に希望持てない状況を、生きてると言えるのか。
前の日記で「バトンを回す」という表現を私は使いました。
不老不死にでも目覚めない限り、私もいつかは未来の息子/娘、あるいは子どもに代わる誰かに、バトンタッチしなければならない。
その時に自分たちの世代さえ幸せになればよいと、未来の分のリソースまで使い果たしてボロボロのバトンを回してはいけない。
最近のカタカナ語なら「sustainable(サスティナブル)」というものです。スローガンだけが流行って、中身が無くならないよう…
…とまあ、アニメを見ていちいち難しいことを考えるのもつまらない話ですが、単にバトルが凄い、このキャラがかっこいい/可愛いという感想も、アラサーとしては△でしょう。
どうあれ、良いものを大事にしつつ学んでいきましょう。
最後に…ある関係で某携帯会社の広告店に就職する女子大生さんにお会いしました。
政治人、というより永田町民にあまり会わないことから、熱心に耳を傾けてくれました。
麻生さんがお好きだそうです。ファッションにこだわりありな点や、氏独特の言い回しが気になるそうです。
随分「寡聞にして」が枕詞に付く子でしたが…私の意見としては、知識がない人よりも、己の言動が絶対的に正しいかと思う人の方が遥かに厄介だと思います。
「さかしら」というのは十中八九嫌われるものなのですが、某国民の敵の方といい気付かないようです。
素直に話を聞く性分、彼女には大事にして欲しいですし、私も見習わないといけませんね。
4月最終日の日記なので、少し長めになりました。原稿書きの仕事をするので、下の字数表示もしっかりチェックしています。
明日から5月、2連勤→4連休の予定ですが、引き続き己のため大切な方々のため、しっかり頑張って参ります。