とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

一里塚

1年以上見守ってきた某プロジェクトがひとつの節目を迎えたというか、ひと段落つくことになりました。

一時はどう落とし所を見つけるのか、部分的に諦めるしかないのか思っていましたが、何とか解決?を迎えて何よりです。

 

喜んでばかりは、いられません。

「まだ、ようやく一里塚が見えたというところですよ。ここからが本番ですから。」

幹部からこうも言われました…その通りでまだまだ道は遠い。

 

よく寝て、明日は今日の会議のまとめをして、次なる戦いに備えたいと思います。激戦は必至でしょう。

 

 

一里塚という用語を聞いて、まず思い浮かべたのが榎のエピソード。

 

江戸時代には一里、つまり街道の約4kmごとに榎の木が植えられたようです。

今のご時世だと「あと◯km」の看板や、高速道路のSA/PAなどが距離の目安になりますが、江戸時代は江戸時代らしい工夫をしていたようです。

松と檜以外で適当な木がなかったなど、なんで榎なの?という理由は諸説あるようですが…

 

「じゃあ、杉は花粉がヤバいし代わりに榎を植えれば良いじゃない」と一時思ったこともありましたが…

このサイズでは、エノキ茸のように密集させるのは難しいですね。成長のスピードさておき、成長後が流石に大き過ぎました。

 

そして、一里塚といえばこの歌。

作者はかの有名な一休さんとも。

 

「門松は  冥土の道の  一里塚

   目出度くもあり   目出度くもなし」

 

1年に1回飾られる門松は、人生における1年の経過を示す、一里塚でもある。

1年の経過を、極楽に近づいていると捉える人にとってはおめでたいし、老衰し死に近付くと捉える人にとってはおめでたくない。

 

なかなか考えさせられる歌です。門松=正月のおめでたい飾り、という先入観ではこうは考えないものです。

仏教徒でもなく、もう少しでアラサーからまた1つサーティに近づく身としては、やはり「目出度くもなし」の立場です(泣)

 

 

それでも「老いたくない」と嘆かず、前を向き生き生きしていなければ、栄光への切符も手中から逃げていくものです。

ビジネスも油断なりませんし、プライベートはまだまだ一里塚とはいきませんが、どちらも気を抜かずに取り組んでいきます。