とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

100記事目にあたり

多忙もありましたが、記念すべき100記事目であり、内容を推敲しておりました。

以下長くなりますが、ご高覧の程お願いいたします。

 

 

今日は、辞任×2が大きく取り上げられた一日でありました。

細かな事情がまだ明らかになっていませんが、話題となっている言動には、同じ男性としてもいずれも賛同致しかねるものです。

 

それでも長年の努力、若い頃の苦悩した日々をその言動ひとつを以て否定するのは違うのではと思っています。

 

政治的スタンスの違い、野党支持者から見れば元次官、与党支持者から見れば元知事は目の敵かもしれません。「ざまあみろ」という意見も目にしています。

それでも人生のひとつの分岐点たる大きな決断をした相手には、同じ時代を生きる人間として、こう声をかけてほしいのです。

 

「お勤め、お疲れ様でした。」

 

 

他方で、ある身分の方の国会議員に対する不適切な発言が話題になり、危うく議会運営に波及する案件になる空気もありました。

次官や幕僚長が頭を下げてこれで手打ちに…としたいところですが、決めるのはやはり相手方なのです。

勿論、反撃に乗じた度が過ぎた要求というのは飲めない話ですが。

 

私自身日々ひしひしと感じていますが、組織に属する以上、自分のミスは自分にとどまらず、上席の方、その他多くの方々に頭を下げさせる事態になります。

いち組織人として、自分の仕事や言動等が誰に影響を持つか、という意識はこれからも常日頃から持って行きます。

 

さてさて、此度の行為に走った気持ちも分からなくもないのです。

予てから、人に対しての配慮が欠けている議員でしたし、何よりも、

 

「俺の価値観、解釈は絶対に正しいんだ」

「お前は間違っている、俺が教えてやる」

 

というスタンス。賢いこと自体は称賛すべき話ですが、どこか道を踏み外して独善的になってしまった方とのやり取りは、実に手合いに困るものです。

内心はさておき、ひとまずは異論にも耳を傾けるのが、「王者」の器というものなのでしょうが…対義語である「覇者」を志向されるようです。

 

しかしながら、「悪い奴は悪いんだから、何を言っても構わない」というロジックは成り立ちません。それはいじめっ子の論理です。

独善的な方を中々論破するのは難しいですが、だからといってアウトローなやり方を使っては古代中世に逆戻りです。

 

仇敵に格好の批判材料を与えてしまった形になりますが、決して手を出さなかったことだけは評価します。

そして後に続け、或いはもっと過激な事をやってやるという方が出ないことを、切に願います。

 

 

最後に、仕事に関連して副音声の話を。

 

京都で「いつも賑やかにやってますね」と声をかけられたから、声をかけた方を招待したらばトラブルに突入したという事案がありました。

これは暗に「毎度毎度うるさいから、いい加減静かにしろよ」という意味合いだったそうで…こう言った文字の外に込めた意味合いを、私は副音声と呼んでいます。

 

私の仕事には、この副音声を多用する御仁が上にいらっしゃいます。この副音声を上手く聞き取れず、お恥ずかしながら今日も、落雷を頂戴しました。

「お前の指示の仕方が悪いんじゃないか!」とここで不貞腐れるのは簡単なことです。事実、そう思う場面もあります。

しかし頭が冷えてから、ここには上司の優しさや、ある種の苦労・経験が詰まっているのではないかと、私は捉えています。

 

責任を背負う立場になれば、それこそ議員などから直に端的な指示を受けて仕事をしなければならない。

その時に「ハッキリと言わないから、これだけしかやりませんでした」は罷り通らない。断片から広くミットを構えねばならない。

その時に備えて私を鍛えてくれている面もあるのだろうと思い、真摯に受け止めています。

 

それでもやはり報連相はハッキリしていた方がトラブルのないものです。

仕事もプライベートも、他人の副音声に対してのアンテナは鍛えつつ、こちらは副音声をそう多用しないよう、心がけて行きます。

 

 

長々となりましたが、当ブログもようやく100記事目を迎えました。

これからも事務方として、自分の経験や価値観を、尖らず出過ぎずに、しかし上や世論に阿るばかりではなく、皆々様に届けて参ります。

 

何卒、宜しくお願いいたします。