とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

り・かれんと

ようやくの金曜日でしたが、私の職場にはプレミアムな話はありませんでした。

失敗とまでは申し上げませんが、「ゆう活」や「プレミアムフライデー」など、この手の話はなかなか上手くは進まないものですね。

 

 

世間の改憲談義ほかの影響もあり、「教育」というものを改めて考え直す機会がありました。

今晩はそちらの方の話について。

 

「小中高大の間しっかり勉強すれば、良い職場に入れて、その後も良い暮らしができる」

 

こんな風潮は今もありますし、私自身も高校や大学時代にそう信じていた節がありました。

必ずしも全てが間違いではないと思いますし、報われるべく勉学に励む学生に茶々を入れる気は毛頭ありません。むしろ続けて下さい。

 

ただ、昭和のように追い越せと詰め込む時代、あるいは米ソの裏で一人勝ち的な栄華を誇った時代とは違い、現代には国際化の進展、情報技術の異常発達というファクターがあります。

だから前半部分までは正解でも、「その後も良い暮らしができる」の部分、安定が保証されるかのような部分は、当てはまらなくなってきたなと思います。

 

昔と違い、「英語話せません」や「機械オンチなんで」が自虐ネタですまされない時代。小中高大22年間の知識「だけ」で一生戦うというのは無理があります。

この時代に必要なのは、小中高大の過程で今現在のスタンダードを身に付ける他に、その後にスタンダードが変わったらその都度学び直す、ということではないかと思います。

 

今話題のリカレント教育とはまさにそれを指す言葉だったと思うのですが、「ご高齢の方が、趣味道楽でまたベンキョーし直せる」といった面が過度に強調されているような気がします。

確かに少子高齢化のご時世、そう強調した方が多数の支持は得られますが…正直、私のようなアラサーも、アラフォー世代も、学び直すべきことは多々あるし、今後も次々出てきます。

そういった時にちゃんと学び直しが出来るような環境整備、そして世論が醸成されているか、ふと不安になったりします。

 

最後に…一部の方々が旗印にする「無償化」、確かに世間受けの良いワードですが、私個人としては反対派です。

まず入口だけ広げても全ての子どもがその中で活きる訳ではないですし、更に出た後の苦労については相変わらずノータッチじゃん、と思うのです。

 

小中高大ラインの門だけを無償でざっくり広げるのは、まさに22年間学習の慣行に拘った古いやり方。

むしろ、経済面で中卒・高卒で勤め人になった方が余裕出来た頃に学び直したいと思うとき、あるいは大卒の方が在学中の勉強が不十分だから学び直したいと思うときなど…

そうやって色んな「学び直し」に門を少し広げるようにしてはどうか、と思っています。

 

ふと、長々と書いてしまいました。教育関係者や維新関係者、ツッコミを入れたいかもしれませんが、ご容赦くださいませ(笑)