とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

横綱相撲

今日は休日出勤…とはいえ、NHKで上司と相撲中継を見ながらまったりしたりなど、夕方には落ち着ける状況でした。平和が何よりです。

 

そして、春場所は今日で13勝1敗の鶴竜関の優勝が決まったとのこと。おめでとうございます。

昨今の角界は色々慌ただしいですが、どうあれ古くから伝わる競技と文化が、これからも楽しめるよう願っています。

 

 

相撲といえば、以前「張り手は横綱相撲に相応しくない」という話があったのをふと思い出しました。

 

横綱は挑戦者を迎え撃ち、圧倒的な力で挑戦者をねじ伏せてこそ横綱ぞ、という考え方には、賛否が分かれるものです。

スポーツなのだから勝利第一で何が悪い、反則ではないから問題ないだろ、白鵬関にだけ言うのは国籍差別か…眺めていると、些か反対派の方が世には多いのかもしれません。

 

私は相撲に詳しい訳でも、スー女狙いで今から勉強する訳でもないので、偉そうなことを抜かす気はありませんが…

政治の世界にいると、この横綱相撲理論の賛成派の言い分も分かるため、賛成派寄りの考え方をしています。

 

昔の相撲がどうだったのかは不勉強故に分かりませんが…

強者が遠慮をせず、何でも使えるものを使ってひたすら攻め勝つのは、確かに常勝であっても「強者らしからぬ振る舞い」だと思います。

漫画にありがちですが、周りに対して一歩引きながら、余裕を見せながら、いざとなれば挑戦を跳ね除けて打ち勝つ…これこそ真の強者ではないだろうかと。

 

勿論、実利に拘って「◯◯を使えば勝てるのに何でやらないんだよ」と怒る方も、間違いとは思いません。

横綱相撲で勝つことを重んじる方も、勝利を確実に掴むことを重んじる方も、重きを置く場所の違いであり、いずれも正しいでしょう。

 

 

なぜこんな話をしたかというと、「ある権利」を行使する/しないという話で上司とちょっと話し込んだからです。

「ある権利」の行使は、できるものとはいえ本来もっと慎重になされるものなのに、最近はドラえ◯んの道具の如く使われていないかと。

 

やはり「使えるものは何でも使う」主義だと、そのものの価値や重要性が下がるのではないかと。

伝家の宝刀を事あるごとに出していたら、一体どこが宝なんですか?という疑問は少なからず出てくるはずです。

 

例えば恋愛。「好き」関連のパワーフレーズは軽々しく使うべきではないと思います。

毎日「◯◯のことが好きだ」と言い続ければ、最初は有り難かった「好きだ」も、段々と軽くなる。やがて大抵のカップルは飽きてしまう。

 

若干言霊思想的かもしれませんが、強い言葉はやはり軽々しく切ってはいけない。好意の系統に留まらず、他の系統でも。

モノや権利なども似たように、有難みを考えずポンポン切ってはならない。「ある権利」の件では、後の祭りですが…

 

強者は直ぐ伝家の宝刀を抜くのではなく、ずっしりと構えて、所謂横綱相撲で受けて立つべきという考えは、大事にしたいと思います。

私個人は非強者側にいますが、今後立場が変わったときに、ゆめゆめ忘れぬよう…