とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

捨てる神あれば拾う神あり

タイトルを入力していたら「疲労神あり」になっていました。自動変換とは恐ろしいものですね。

疲労神なる神様が居るなら、是非凝りがちな私の両肩を治してほしいものです。名前からして、貧乏神みたいな宜しくないタイプの神様のような気もしますが。

 

冗談はさておき。

 

今朝はあるイベントに関して残念なメールを貰ってしまい、通勤電車の中で顔面蒼白になる場面が。

勝手に期待を大きく膨らませていただけに、失望というか、精神的ダメージも大きいものです。

 

会話のキャッチボールが噛み合わないのは、多少自分が我慢すれば良いのですが…第三者に悪影響が出て来る件では、そうは参りません。

ともあれ、ギブアンドテイクというか、等価交換の法則が成り立たないタイプの御仁も居ることは、以後心に留めておきましょう。

 

他方で、同窓の仲間たちの変わらない優しさ、温かさを感じることが出来た1日でもありました。

中には遥か遠いアメリカの地から、メッセージを送ってくれた友人も。時差があるとはいえ、タイミングが最悪で本当に申し訳ない。

一世一代のイベント、盛り上げに是非ご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

貧乏神といえば、大学時代に好きだった漫画に『貧乏神が!』というのがありました。

なかなかシュールなギャグ漫画から、中盤あたりからバトル路線にシフトする、ジャンプ系列の王道らしい作品です。

 

今でもこの作品を振り返る最大の要因は、この世の幸と不幸を、幸福エナジー・不幸エナジーとして可視化した風水的コンセプト。

個々人の幸福の総量は決まっている、故に幸福エナジーを湯水の如く使い果たした人間が凋落するシーンも描かれていました。

言わずもがな、現実はそう簡単ではなく、連戦連勝に幸福が続くこともありますし、いわゆる泣きっ面に蜂のような、逆もあるものです。

 

ある友人と「とあるカメラ目線が素敵な御方」の話をしていて思ったことは、

己の行い次第では掴めない幸福が転がり込んでくることも、逆に掴めた筈の幸福が逃げて行くこともあるということ。

 

己の業で足元をすくわれるも何とか命拾いした身分ならば、初心に帰り、頭を下げて謙虚に、直向きに進まなければならない…

さもなくば、幸福はますます逃げて行くのではないか。どこかの隣人のように掴めた筈の幸福がなくなっていってしまうのではないか。

 

とまあ、その御方に対する心配はありますが、余計なお世話かもしれませんし、何よりまずは我が身というものです。

己の幸福エナジーというものを無駄に使うことがないよう、お呼びでない不幸エナジー流入しないよう、よくよく考えていきます。