昨日日曜日は、結婚式を控えた友人と食事を。途中から新婦(奥様)も合流して3人で談笑。
場所は納豆居酒屋という変わった飲食店でしたが、食べ物はなかなか美味で…写真を完全に撮り忘れていたのが実にもったいない。
友人と話していて感じたのは、知識の多さと、話題の広さ。
大学関係やベンチャー関係、様々な経験を持つ彼だからこそ、南相馬市の話などを聞いているとついつい引き込まれてしまったり。
感心さておき、自分には勉強や将来のビジョンがまだまだ不足しているなあと感じたり。
そろそろ若さを売りに出来ない年齢、凹んではいられません…引き続きアンテナを広く、感度良く立てていきましょう。
知識の多さ、話題の広さと言えば…
今日は文春オンラインに掲載されていた、作家の安田峰俊氏の記事を拝見しました。
タイトルの表現はさておき、「漢文教育はムダではない」という内容については、全くもって同意です。
高校時代「古典の方が現代文より好きだから」という損得勘定で擁護していた私でしたが、
10年たった今でも、獲得した事務能力で仕事が出来たり、論語などが会話のネタになるので、氏のように中国研究をしていなくともすんなり頷けるものです。
漢文に限らず、話題の広さを持つことはやはり重要だと思います。別に教養に限りません。
「趣味は?」「野球です」「ちなみにどこファンですか?」「巨人です」と言われれば、選手を語ったり成績に物申したり、会話が弾む。
実利に拘る方からしたら、「プロになる訳でもないのに、何かメリットあんの?」とキビしい言葉をいただくかもしれません。
ですが、スポーツの観戦も立派な話題のタネ、やっていてムダなことはありません。スポーツの経験なら、尚更価値あるもの。
実利最重視の方々が、「自分の通ってきた道にない考え方」には懐疑的になるのは致し方ないものです。それもまた1つの考え方であり、1つの正義。
しかし、折角の一度きりの人生、自分の箪笥に色々な知識の抽斗を持っておいた方が充実するのではないかと思います。
ただし、知識を他人にひけらかしたり、蘊蓄を傾け過ぎて他人をうんざりさせたりするのは、また別な話。
勘違いして、悪しき使い方をしないように。