とある事務方の備忘録

いち事務方の「私はこう考える」ブログ

背負う過去、消せぬ過去

3月初の日記になります。今月も皆々様、宜しくお願い致します。

 

 

仕事の合間に、動画ニュースを視聴。Yahoo!にせよ、SmartNewsにせよ、便利な社会になったものです。

 

ある御仁が、此度の五輪について私と同じ考え(躍進と感動の裏で某国に上手く利用された)を動画内で述べていたので、

「ふむふむ、この人が言うとやっぱ説得力あるなあ〜、よく言ってくれました」

と思っていましたが、コメント欄を見ると、私と違った意見がズラリと並んでいたので、ふと考えてしまいました。

 

「こいつ、セクハラした奴じゃん!」

 

当たり前ですが、セクハラを肯定or擁護する気は毛頭ありませんし、どうあろうと開き直ってはならないものです。

仮に対自分へのセクハラは耐えられても、自分の大切な人が被害に遭ったら…を考えたら冷静ではいられないものです。

 

しかし、昔の粗相について、どこまで後ろ指を指され続けるのか…その人が成果を挙げたときにも「でも◯◯した奴じゃん」と言われ続けることは、少し悩むところはあります。

過ちを犯したこと、それを認めないことは非難されて然るべき。でも、延々とそれを理由に非難され続けることは…最悪、死ぬまで耐え続ける必要があるのだろうか。

 

もうひとつ、日本では「何を言ったか?」より「誰が言ったか?」が優先される風潮があるのも、やはり気になるところ。

私自身も実生活では「お前が言うな!」と思うタイミングがありますが、的を射ているならば相手さておき発言内容は評価しなければなりません。

 

狼少年がいきなり本当のことを言っても、日頃の行いがすべてであり、説得力がないのは寓話の通り。

それでも、正論を述べたとき、評価に値することを成したときにも、全否定から入られてしまうのは、果たして良いのだろうか。

 

 

色々と書いてしまいましたが、自分も沢山過ちを犯してきましたし、それを昔のことだと開き直る気はありません。

友人知人から過去について厳しい指摘を受けたなら、申し訳なく思わなければならない。大切な人の気持ちに沿わねばならない。

 

人がそうだからといって、逆に私の側からあれこれ人の過去に拘って指摘したり、引け目を感じせたりしないように努めたいと思います。